東日本大震災8周年、記念


競艇に慣れてくると、周年、とくれば、記念、が付き物だが、だからといって大災害の後ろに付けてしまうと、なんと不謹慎な語感として漂ってくるのだろう。思わず読点を間に挟んでしまったが、他意はないという言い訳でも逃げ切れない程に、東日本大震災8周年記念、という言葉には不味さを感じる。絶対に使えない。もし日本国が滅ぶのを心待ちにしているのであれば、世論に立ち向かってでも使用するところだが、全くそんなつもりはないからだ。

悪いのは記念ではなく、その前だった

紐解いていけば、まずもってもう、周年、がいけない。周年には、「あれから幾日幾月もの時が経ち、季節が巡り巡って、ようやく皆さんの元に戻ってまいりました」という雰囲気がある。周る、という文字が醸し出しているのだろう。よっ待ってました、やっぱあんたがいないとな、待ちすぎてキリンみたいになるところだったぜ、と沸き立つ人々も出るだろう。

一方の、記念、だが、残念残酷ながら、こちらはもう事実をただ述べている言葉だからしょうがないのではないか。今年も数々の式典や黙祷が至る所で行われたが、これらは全て、震災を記念して行われている。記念は、記す、念じる、と書くことから、根本に、「忘れないように書いておく」という意味が含まれている。忘れてしまうことを、失念、という。記念、とは、そうならないために記しておくことだ。

もちろん、念、のなかには様々あって、自然災害と二次災害に対しての悲しみ、苦しみ、憎しみ、といった感情から、近しい存在への懺悔、感謝、次世代のための教訓、反省、そして再出発についての艱難辛苦と達成感、その先の夢、理想など、枚挙に暇がない。人々が一堂に会してそれぞれを想う記念式典や黙祷の場は、決して不要ではない。

すると、東日本大震災8年記念、ということになって、チネンキネン、という語感が単純に腹立たしい。どうしたものか。

北斗もさぁ、30thとか35thとか、どうせ40thも新台出すんでしょ?

答えは単純で、いちいち、何年、十何年、何十年、何十何年、と数えるのをやめればいいだけである。そもそもが、追悼の念だったり再発防止の決意だったり、復興へのやる気だったりというものについて、「よぅし、今年は10周年記念だから、お父さん頑張っちゃうぞ」等という感情は不要である。何年経とうが、それぞれの想いや気持ちは萎えるべきではないし、その程度の災害ではなかったはずだ。少なくとも毎年欠かさず、今後も永遠に震災について記念行事や式典を行っていけば、突然忘れるなんてことにはなりえない。

避難民が元の土地に帰れない限り、なんだかんだ復興庁は存続するとは思うけどね

しかし残念ながら、2021年3月で国の復興庁が解体することになっている。もしこのままそうなれば、こういった国を挙げての式典行事もどんどん縮小していくだろう。

なぜだ。熊本の地震や御嶽山噴火の例もあるように、どうせこの国はまた近いうち厄災に見舞われるのである。2020年のオリンピックを無事に終えたとしても、次々に地震が起き、火山が噴火することは間違いなく、海は枯れ、地は裂け、あらゆる2通ランプが点灯するかに見える世の中がやってくる、この列島はそういう風土であることは、もはや常識ではなかったのか。有事を想定して動かずして何が国か。

アイドルが世界救うのはマクロスからの常識だよね

さて、震災から毎年の3月11日を迎えるにあたっては、様々なメディアで震災関連のニュースやイベントが取り沙汰されている。今年も、海外の性的マイノリティに誤解と希望を与えている二人組の演芸師が、被災後累計4億2千万円もの寄付金を集めて自治体へ届けていることが話題になった。

サンドウィッチマン「東北魂」寄付金、4億2千万円に(朝日新聞)

よく、血税、などというが、義援金や支援金などの寄付金は、震災からの復興を祈る人々の、まさに汗と涙と血の結晶である。祈念は誰しもが可能だが、これを金銭としてまとまった形に結晶化できる人は少ない。よほどの大金持ちか、もしくは上述のようなスターか、いずれにせよ、ごく少数に限られる。

ファンの意思をないがしろにしたまま解散した元6人組のアイドルグループも、自身の冠番組で最後まで義援金を募り続けていた。幕引きはともかく、当時の姿勢と番組判断は立派であった。

やっと本題。これが書きたかった

話は変わってWEBサイトである。3月11日へと日付が変わった瞬間に、Yahoo!JAPANのトップページにこんなものが踊った。

わけがわからないのである。曰く、検索窓に「3.11」と打ってEnterキーを叩き込めば、Yahoo!JAPANが被災関係で10円を寄付するらしい。さっぱり意味不明だ。

いや、日本文の意味は理解できるが、その内容に全く共感できないし、そういうイベントを実施する意義がよくわからない。

寄付したいんだけど、金額はどうすればいい?

よく噛み砕いて考えてみて欲しい。寄付の金を出費するのは誰かといえば、Yahoo!であるが、でもYahoo!の意思はそこに介在しないのである。一般人が「よし、10円を払うんだ、ヤフー!」と一声かけて初めて、Yahoo!はなんの感情も持たないままに「ま゛」等と応じてお金を払うのだ。

そんな心ない寄付金あるかよ。Yahoo!は払い過ぎを抑制したいのか、cookieだかなんだかのシステムを利用して判別し、「3.11」の書き込みによる募金は1人1回までに制限しているし、寄付をしたいのかしたくないのか、非常に曖昧なのだ。

「うちもでっかい組織だし、寄付ぐらいするかなぁ。でも幾ら位にすればいいんだろう。相場とかないもんなぁ。・・・あ。人に決めて貰お」といったところだろうか。こういうイベントを開けば、募金して欲しい人は皆「3.11」と検索するわけだから、金額が、そのまま復興を願う人数の10倍になるわけで、宣伝材料としても訴求力がある。

検索数×1円とか、PayPayと期間固定Tポイントとか

ただ、自分の金が減るわけでもあるまいし、「震災の復興に寄付なんてするな」という人がこの世界に何人いるだろうか。日々Yahoo!JAPANの検索エンジンを利用する日本国在住の人々の多くは、自分の資産が目減りするわけでもない、どこかの誰かが復興にお金を寄付するということについて反対はしないだろう。であれば、何も文言を3.11に限定せず、検索窓を使った人の分だけYahoo!が勝手に数えて好きに寄付してくれれば良かったのではないか。もちろん、一定数の陰謀論者はいる。いわく、「寄付金なんて県知事の遊興費になったりするに決まっている」等と考える人々である。

しかし、検索窓を運営するYahoo!JAPANの意思として、寄付をすること自体は揺るがないのだから、そういう人々の検索利用もカウントして寄付してしまえばいいじゃないか。例えば、「義援金 イヤ」「支援金 ウソ」「東北 死ね」などの検索文字だったとしても、カウントして寄付金にしてしまえばいい。

慮って推測を続けよう

それをなぜ、わざわざ、寄付金額の決定をYahoo!JAPAN利用者の意思に委ねるのか。どうして自分で寄付金額を決められないのか。好きなような額を好きなように寄付すればいいではないか。非常に不可解で不快である。まるで、総額が決まった後で「いやYahoo!的にはぁ~もっとぉ、多目が良かったんだけどぉ~」等と誰かに言い訳したいがためのように聞こえる。しかも1人10円限定という足枷まで付けて、なぜ利用者をこき使うのだろう。

もしくは、デキレース、という可能性もある。既にYahoo!JAPAN側では寄付金の額を決めて予算を組んであるが、少しでも利用者に東日本大震災についての気持ちや想いを保ってもらうために、まさに単なる記念として、みんなで「3.11」と打ってみよう、という企画なのかもしれない。もしYahoo!JAPANの思惑がそうであったならば、一杯食わされたなと思う。立派な宣伝戦略であったわけだ。

ところが、である。いざ3月12日になって、トップページがどうなったかといえば、もう平常運転である。上掲のような大きな宣伝はもう消えている。跡形もない。

これが何を意味するかといえば、大量の寄付金を用意する気などさらさら無かったということである。3月11日の24時間以内にYahoo!JAPANを訪れた人しか気がつかない寄付金10円制度。毎年一日だけ訪れる東日本大震災記念日、その刹那に気付いた人々の意思だけを尊重する。全く本当にわけがわからない。

Yahoo!の他にJTやKIRINが参戦、良いサイト

もちろん、Yahoo!の全てが悪だ等と断ずるつもりはない。下記のような素晴らしい情報を提供してくれるサイトも持っている。

いま、わたしができること。

10円企画の元ともいえるサイトだが、災害等についての各種情報が非常にわかりやすく説明されている。シンプルかつ温かみのある、清廉なデザインも相俟って、見易さも際立っている。

ケチをつければチャリティーオークションの期間設定に一考の余地があるだろう。残念ながら、「あの東日本大震災から、今日で丁度○年になります」という報道を目や耳にしてから初めて震災の記念日であることに気付き、再興への祈念を始める、という人々も多くいる。彼ら彼女らがその報道をきっかけに震災について改めて調べた時、チャリティーオークションの存在を知って、さぁいざゆかんと思った正にその日の夜に、3月11日20:00に、オークション開催終了時刻を迎えるというのでは、手を上げる間もないではないか。

記念日は、終わったが、寄付金の額が3月13日に発表となるらしい。24時間の開催で果たして何人×10円まで溜まったのだろうか。期待してやまない。


労働階級からの解放を志し、収入のアテもないのに突然脱サラ。後先考えないその姿勢に後悔しきり。

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