唄の世界には、「アンサーソング」なるものがある。誰かが創った作品に、自分なりの解釈で応じる唄を返礼とばかりに歌い上げるのである。
所ジョージ 最近の唄28 さすらいの旅の前に(YouTube)
動画冒頭で語られているとおり、これは奥田民生氏の「さすらい」に対するアンサーソングである。どこかのアルバムにも入っているらしいが、丁寧に編曲されたその唄には、残念ながらこの動画ほどの迫力はない。この弾き語りバージョンには、痛烈な一節が飛び込んでいるのである。唄いだしから順に見ていきたい。
「こうしていても仕方ないので、旅に出ようと思う」
唐突である。一見して唐突そのものであるが、しかし、ここに至るまでには、さまざまな心の葛藤や、堂々巡りの悩み事、自分らしく生きられないことへの絶望といったものが確かに存在した。前に進むことが出来ない、どうやって解決すればいいのかわからない、答えが出ない。一人自宅で悶々と、頭を抱えて塞ぎこんでいるのである。
そして、何かの拍子にふと顔を上げて気付くのだ。こんなことしていても、仕方が無いのではないか、と。
この唄はここから始まるのだった。
「旅慣れた人に話を聞こう。奥田君に聞こう。お金は幾らくらい必要なのでしょうかね?」
今まで自室でじっとしていた人が、急に旅に出ようなどと立ち上がったら、足が攣ってしまうだろう。準備運動と事前の知識が必要だ。
作詞者であり唄の主人公でもある所氏は、幸運にも奥田氏と知り合いであった。彼に聞くのがいい。なにしろ奥田氏は率先して「さすらおう、この世界中を」と聴衆を扇動するほどの人物である。旅のスペシャリストに違いない。
旅に限らず、何かをするとなればお金が必要になることは、大人の常識である。財布にどれくらい入れておけば、満足にさすらうことができるのか、まずはそこを明確にしておきたい。何故なら旅の素人は、以下のことにも皆目見当がつかないからだ。
「蚊取り線香、風邪薬、宿泊施設の予約等・・・」
蚊取りや感冒薬など、野宿の可能性に言及しつつも、やはり旅館に入るつもりもある、計画性の無さというか、どうしたらいいのかがわからない、といったことがよくわかる文言である。
「さすらいの旅の彼に、美容院で会ったら、鏡越しに」
ここがサビであることには注目せざるを得ない。
旅のスペシャリストといえば、浮浪者の一歩手前、素浪人然とした風貌を想像させるのに、なんと奥田氏は美容院に通っているというのだ。カリスマ扇動者が、実は容姿に気を使う人だったなんて。旅慣れた薄汚れた格好が、実は芝居だったなんて。この唄を聴く一般の聴衆は愕然とするのである。
「さすらい」に対する「さすらいの旅の前に」の、最も伝えたい部分は紛れも無くここにある。さすらう気などさらさら無い奥田氏を批判しているのではない。所氏に馬鹿にされているのは、フォークシンガー界があるとしたら間違いなく現世代長者の一人である奥田氏に、ただただ無自覚に翻弄されている愚かな聴衆である。一時期若者の間で流行した、所謂「自分探しの旅」に奥田氏の唄が影響を与えたことは想像にかたくないが、この「さすらいの旅の前に」は 、「さすらい」を耳にしたために、 そういった一人旅に憧れてしまうという、流行りもの好きな人々を愚弄しているのである。
「どうしてもさすらわなければ、と旅に出ようと思う」
2番に入った。
どうしてもさすらう、というと、前向きかつ我侭な強い意志を感じるが、そんなものではない。旅に対して素人は臆しているのである。臆していなければ、面倒なのである。ずっと自宅でのんびり悩んでいたのが、急に外へ、しかも泊まりで出かけるなんて、腰が重すぎて大変である。この歌詞は、それを半ば無理矢理に、強制的になんとかしようと、自分で自分を律しようとしているのである。
「旅慣れた人に話を聞こう、奥田君に聞こう。長袖のシャツ等、必要なのでしょうかね?」
質問した季節にもよるだろうが、夏以外は当たり前である。夏でも北海道や山の上に出かけるのであれば当然必要な装備だ。
これは奥田君をからかっているのではなく、旅に対する本人の意思がいかに弱いかを示している。行きたくないのだ、旅に、最早、実は。「まず詳しい人に話を聞いて、それで準備を万端にしてだな」という前段階を増やすことによって、少しでも旅の始まりを遅くしようとする、無意識的な逃げ腰の構えがそこにはある。
「貴重品はどのへんに、洗濯物は如何にして」
質問は続くが、貴重品については、1番でお金をどれくらい持っていけばいいかを尋ねた際に、一緒に聞いておくべき内容である。一度で聞けることを二度に分けるあたり、本当に行く気が無い。
「さすらいの旅の彼に、目黒川で会ったら、橋の上で」
今度のサビは目黒川である。世田谷区、目黒区、品川区、という、一般的な感覚では金持ちばかりが住民登録をしていそうな、特別区を流れている河川だ。奥田氏の住まいが実際にどこなのかは重要ではなく、そんな高級そうなところを散歩しているのが奥田民生さんですよ、ということを主張しているのである。奥田氏の詞や曲にむやみやたらと心酔する人々に対して、ここでも重たいフックを打ち込んできている。
「さすらおう。周りはさすらわぬ人ばっか。少し気になった」
ここである。冒頭で触れた痛烈な一節とはここのことだ。歌詞、そして曲調の両方が、「さすらい」と全く同じなのである。
にもかかわらず、その意味するところはたいぶずれている。所氏が歌い上げるこのフレーズによれば、旅に出るべきだと重い腰を上げた悩める所さんは、あろうことか周りの目を気にしてしまったのである。気になったのは少しだけだといっているが、果たしてそうだろうか。
もともと旅自体には前向きではなかった。家にいても仕方ないし、なんとなく旅にでも出て気分を変えよう、といった程度の旅なのである。しかも、旅のコツがよくわからないのに、勉強するのは面倒くさい。億劫だ。奥田氏に話を聞いてからに、と足踏みを続けるあたり、全く行く気が無い。
そこに周囲の反応である。「旅って、今更どこ行くんすか?」等と、妻、マネージャー、番組ディレクター、プロデューサー、恐らくBIG3の全員にも苦笑いされるのである。
「一人ではとても行けないので諦めようと思う」
結局そうなってしまう。この流れで行くわけがない。周囲の嘲笑を跳ね除けられる程の決意があるのなら、とうに旅立っていたはずだ。
「旅慣れた人と二人で行こう。奥田君と行こう」
しかし、かつて2番の歌詞で、どうしてもさすらわなければ、決して後には引かないぞ、という雰囲気の発言をしてしまっている所氏は、そのプライドも相俟って引くに引けない。どうしても家を出る必要はあるのだ。
そうだ、奥田氏に連れて行ってもらおう。これで百人力だ。
「私を連れてって。・・・さすらいなのでしょうかねぇ」
奥田氏に嬉々として呼びかけた所さんは、突如、歌い手の立場に戻ってきて、その状況を嘆いてみせる。仰るとおり、もうそうなったらさすらいではない。旅行である。何泊何日かする何かのツアーである。
所氏が聴取者に突然投げかけてくるこのフレーズは、かつて若い頃に仲間たちと、旅、と称して只の飲んだくれ旅行をしたことがあるような大人たちに、酷く響くように構成されている。奥田氏に惑わされ、旅の潔さ、格好良さに興味を持ち、憧れ、でも結局は臆病で弱い人間だから、友達とつるんでいないと上手く出来なくて、思い返して見ればただの旅行をしてしまった、そのような経験がある人々にはっきりと伝えているのだ。「旅ぃ?おめぇさんがやったのは只の仲良しツアーじゃねぇか、恥ずかしくねぇのかよ、そんなんで旅が好きってさ」と。
「布団を並べて仲居さんに『ごゆっくり』などと言われたら」
奥田氏との旅行である。一人旅のつもりであったから一部屋だ。布団が並ぶ。二人のうちどちらかに男色の気があったにせよ無かったにせよ、お互いの気持ちを探ることになって、少し動揺してしまうだろう。
「さすらいの旅も、そこで終わりそうになるから、おたくだけで」
どちらにせよ、酔わざるを得ない。酔って酔ってごまかして夜に挑むしかないのである。結果的に二人ともノンケであった場合も、そこまで酔っ払ってしまっては、「泊まる度に酒ばっか喰らって、もう旅なんていいか、しんどいわ本当」という失言をどちらかが放って、そこまでである。
人々を旅に扇動するのは奥田君だけで十分ですよ。自分は、その唄を聴いて目を輝かせながら、でも結局仲間内とつるんだまま、なにも進歩できないような聴衆を、広くて大きい自宅から小馬鹿にしてやりますよ、という宣言を最後に端折ってお開きである。
一人じゃ何もできないことに、無自覚な人へ
紐解いて見たが、他人のヒット曲で出汁をとっておきながら、流行のJ-POPを聞き散らす一般的な聴衆をこき下ろすという、ここまで過激なアンサーソングもなかなか無いのである。所ジョージ氏の楽曲については、機を見てまた考察してみたい。
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