内気殺しのバレンタイン


恵方巻と同じような邪悪さを感じる老舗イベント、バレンタインがやってきて、今年は平穏無事に過ぎていった。

社会人とバレンタイン

会社勤めとなれば大変である。男女雇用機会均等法という非常に社会主義的な、まさに雇均等法の影響もあってか、会社には女子社員というものがいるのだ。

奴等が、バレンタインともなると、牙をむいて襲い掛かってくるのである。別に一人だけを小部屋に引き込んで身包み剥がしてくれるなら、それはそれでよい。お金も払ってやろう。

奴等はそうではない。まるで国際テロリストの如く怪しげな小包を押し付けてきて、ヘラヘラ笑っているのである。

「これ、ウチら三人からです」等と恩着せがましく言い、所属組織の長から順に手渡していく。奴等同士の仲にもよるが、「課長には●●ちゃん、室長には◎◎ちゃんが渡して。私は次長に渡すから」等と分業制にしたりしている。もしくは、一人ずつキャッハウフフ、押し付けあうように「さっき私やったから次は△△ちゃんが渡す番だよ」かなんかやっていて、知らないフリしてデスクに噛り付いている男は、さっさと終わらせたい気持ちで一杯である。

渡す方に愛など欠片もないし、貰うこちらには夢も希望もない。何せ、半沢直樹もビックリの将来が待ち受けているのである。

女子社員の中には芝居が下手な奴もいて、「毎年毎年くっだらねぇなぁいちいち面倒臭ぇし」と思っている、それはそれで男に好かれそうな女なのだけれども、その陰毛のような感情が、笑顔から透けて見えてしまっている。そうなるとこれはもう異常事態だ。誰の何がどうなるのがどのように楽しくて、カカオの御煮しめをやり取りしているというのか、最早さっぱりわからないのである。

若輩者とバレンタイン

高校などのクラスや部活でも同じような光景となるが、そこは思春期、社会人とは大きく異なる爆弾的感情が用意されている。

「俺のだけ、特別なんじゃないのか?」

この、自分による自分への自分の囁きにより、おかしくなってしまう手合いは確実に存在する。皆と同じものを同じように配っている、と見せかけて、マジシャンズセレクト的な、何か不思議に時空を超えた縁でもって、自分には何か手紙だとか、耽美的かつ猟奇的には女子の爪とか、そういったものが練りこまれているのではないかと思って、自宅で必死に舐り倒し、中箱の裏地まで拡大鏡で覗いて、でもなんにも見つからず、つまるところは3月12日あたりに、男連中同士でデパートまでお菓子を買いに行くだけの結末が用意されているのである。

廃れろバレンタイン、ぶっ放せバレンティン

だいたい、恋愛感情を盛り上げるイベントとしても、最早陳腐化しているように思う。色恋に絶大な影響を与えるとされている、意外性、というものがない。2月14日は当然にバレンタインデーで、好きな人にハート型の食べ物を与える日となっている。恒例行事だ。そのうち七草粥程度の知名度まで落ちぶれるのでは、と密かに期待している。

意外性を求め、ハツ串にチョコレートをかけるのはどうか。もし旨かったらどうしよう、と思うと夜になるまで眠れないのだ。


労働階級からの解放を志し、収入のアテもないのに突然脱サラ。後先考えないその姿勢に後悔しきり。

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