オゴセバイリンである。競走馬名だと言われれば、はいそうですかと納得できてしまうほどの語感だ。オゴセにオコゼっぽさを感じる。オコゼといえばトゲだらけの毒もち魚であり、バイリンは梅安や倍南を想起させる。いずれにせよ、なんだか玄人好みの手法で必ず殺される仕掛けを打たれるのではないか、と身構えてしまうような語感である。
なぜここに神社を建てようと・・・?
越生梅林は、関東三大梅林に数えられる程の規模や知名度を誇り、その由緒は古く、西暦1300年代まで遡れるという。オゴセバイリン。恐ろしい奴である。いわく、太宰府天満宮から分祀した神社を付近に建立する際に、記念として菅原道真公由来の梅ノ木が植えられたことから発展したという。その神社は現在、梅園神社という通り名で、越生梅林とは川を挟んで反対側に君臨している。

名脇役、その名は
その川がまた、印象深い名前を背負っているのだった。越辺川という。越辺川。漢字こそ越辺川だが、まさかこれを、オッペガワと読むとは想定の外も甚だしい。おっぺがわ。北海道との不思議な親しさすら感じさせるが、この地にアイヌはいない。近くには高麗があり、新座などと同様に渡来人が集住したことは想像に難くないが、それにしたってオッペガワである。
そしてオゴセバイリンである。


梅といえば、おごせ? そんなまさか
一般に梅の名所といえば、水戸の偕楽園である。行ったことが無くともなんとなく、梅の花といえば偕楽園だし、梅酒といえばチョーヤくらいの染み付き様だ。もちろん関東三大梅林の筆頭ともいえる存在だが、越生梅林よりも歴史は浅い。偕楽園は、水戸藩主徳川斉昭が作庭を指揮した庭園であり、幕末の開園である。一方の越生梅林は、上述の通り南北朝時代の植樹から始まっている。大先輩もいいところだ。
そして、越生梅林が偕楽園と異なる大きな特徴として、梅の存在意義がある。偕楽園はあくまで庭園なので、梅は観賞用である。古木を愛で、花を愛する。しかし越生梅林はそうではない。いかつい名前を持ちながらも、もっとリアリストであった。越生の梅については、花より何より、食用にする梅果実の収穫が最重要視されていた。江戸で消費される梅の多くを、ここで生産していたのである。かたやお庭遊び、かたや食品工場だったのだ。この差は大きい。
前方に気をつけろ
越生梅林においては、梅の実を収穫しやすくするためか、梅の木は背を低く剪定されたものが多い。そして、植物を植物で例えるのは品がないが、まさに梨や葡萄のように、それら低木が平地で1~2m間隔で存在しているのである。見栄えの良い配置など無い。池や傾斜、積み石などを上手く使うこともない。実利を最大限に考慮しているのだ。

鑑賞者として厄介なのは、なにより背の低さである。脇見をして散歩していると、突き出た枝に頭をやられる。小枝ではない。枝である。自分の首から骨の動く音がするほどの衝撃が走る。この事態を回避するために、かがみ加減で歩けば良いと思う志士もおられるかもしれないが、それはもう、相当な角度を求められる。空気椅子状態で歩くような形だ。もちろん、かがむといっても腰を曲げて下を向いていたのでは、梅花は見当たらない。


なお、最も太くて硬く、順路側に逞しく突き出ている木の枝は、入園直後に存在する。入園料300円を支払った後、財布を弄りながら歩いているだけですぐに痛い思いができることを付記しておく。
今が旬、江戸前じゃない方の、旬
越生梅林では、毎年恒例の梅祭りが3月中旬頃まで開催されており、本日も、お囃子やフォークソングクラブなどが観光ムードを守り立てていた。また、越生付近は戦国初期の武将である太田道灌の出身地でもあるため、大河ドラマ化への署名運動も行われている。梅の花に関する俳句投稿も可能で、屋台も出ているしトイレは水洗だ。東武線や八高線がやや近くを通っているし、圏央鶴ヶ島ICからの便もいいので、犬の散歩にでも出てみて頂きたい。

ちなみに関東三大梅林の3つ目は、熱海にあるらしいが、果たして関東といえるのかどうか、私にはわからない。
