イチロー氏が引退した。次はどのような登録名でどのような職に就くのか。45歳の無職、目立った資格も所有していないとすると、真っ当に考えて先行きは暗い。来年の税金を払った後、果たしてまだ悠々自適に暮らせているのだろうか。どこかの競馬関係者のように、野球賭博などの詐欺予想会社で広告塔として顔を出しはしないだろうか。もしくは、「イチロー先生の一発読本に書いてあった、この振り子ピストンを習得したら、すぐ子宝に恵まれました」とか、「イチロー氏の公認DVDに収録されていたレーザービーム体操で、なんと半年で-30kg!」といったバナー広告に登場しないだろうか。したらしたで楽しいし、人生の面白さを感じるのでどうでも良いが。
いずれにせよ、平和なニュースではある。
注目すべきは日刊スポーツである。以下の二記事が、同日に、僅か数時間の差で報じられているのだ。
元気だったのか…イチローの愛犬、一弓も注目浴びる(2019年3月22日午後5時7分)
渡辺主筆V奪回厳命「優勝を見るまで死ぬわけには」(2019年3月22日午後9時50分)
この二つに共通する、まだ生きてます、という概要に漂う、絶妙な温度差はなんだろうか。紐を解くべきでもないし、関連などないと言われればそれまでだが、敢えて考えてみたい。和えてね。
考察、推測、推察、そして妄想へ
まずもって当然のことながら、二者の最も大きい違いは、ヒトと犬、というところにある。それでも同じ哺乳類であるから共通点は多いが、言語感覚については渡辺恒雄氏に軍配が上がるだろう。
生を保つ、ということが他の者に与える価値は、如何に絶大なものがあるかということを伝える記事と、生を保つ理由や意義、その内容について、情報価値を見出そうとする記事。本質は大きく違うが、もしこの同日に発表された記事に、なんらかの縁、結びつきがあるとするならば、それはとてもえげつないことになる。
一弓、父と母の名を一文字ずつとって、一弓
つまり例えばそれは、18歳の柴犬、一弓さんが、「 もう1回200本安打を見るまでは、死ぬわけにはいかないという心境であります。安らかに死ねるようにとは言いませんが、とにかく今年は絶対に200本打ってもらいたいと思っております 」と言いたかった可能性がある、ということである。
イチロー氏が引退してしまった今、これから彼は何を支えに生きていけば良いのだろうか。他犬から「変な名前だな」とからかわれ続けた犬生において、ただ一つの楽しみであった主人の活躍が、もう見られないのだ。人間の都合で感謝だの感慨深いだの、日本犬の海外人気に繋がるだの、彼にはなんの慰めにも、救いにもならないのだ。何故なら彼の生きる意義こそが、イチロー氏の活躍に直結していたからであり、彼を癒す唯一の手段は、主人の巧打復活しかありえないのだ。
ぶっちゃけナインはどう思ってるのかね
一方、渡辺氏はもしかしたら、高橋由伸前監督あたりに「 あの懸命な姿。まさか最後まで、現役を終える時まで一緒に過ごせると思っていなかったので」と陰で言われている可能性もあるわけである。
さらには、日本野球機構から「 読売新聞社の主筆もメディアに取り上げられることで、巨人軍の海外人気の一因にもなる。注目を浴びるのはありがたいこと」等といったコメントまで寄せられたかもしれないのだ。
そもそもが、混ぜるな危険もいいところ
野球が紡いだ運命の糸。偶然に出会った全く異なる二つの記事。その関係性はとにもかくにも歪であり、おぞましい。