126期生がデビューし、最年少レーサーの称号を僅か1年足らずで返上することとなった生田波美音選手(17歳/124期/東京)。2月には自身初の準優出を果たし、節間で初となる複数回勝利も挙げて後期からB1に昇格、と小気味よい文言ばかり並べていくと順風満帆のレーサー人生を送っているかのようだが、加齢という生命体へ平等に訪れる魔の手からは逃れえない。
生田選手の近況を見てみよう
上述の準優出以降、生田選手は3月に平和島で一度3着となったものの、

その後は舟券に一切絡むことなく下位航走を続け、5月末の桐生ではレースへ出る度に必ず入水してすぐ帰郷。続く江戸川では果敢に波を乗りこなしては4着入線を繰り返し、自身のみならずそのファンにも留まらず多くの穴舟券ファンたちにまで苦汁をなめさせてくれた。

やはりボートレース界において最もうら若き選手であった筈の自分を、寄る年波によって捨てなければならないという現実に打ちのめされていたのであろうか。自分の存在価値、自己実現の意識というものが大きく揺らぎ、彼女を水の中へと誘ってしまうのかもしれない、と錯覚さえさせるほどに転覆落水は頻発し、完走した成績だけ見てもなかなかの低迷ぶりであった。
しかし、2度目の桐生斡旋となった今節、転機が訪れる。
いよいよこの時が、来る前に、なんか来た
2020年7月14日から始まった「G3 第53回日刊スポーツ杯 オールレディース」。生田選手はその初戦を慣れ親しんだ6号艇色のカポックを身にまとい、これもお決まりの戦法である1マーク差しを敢行して3着をもぎ取った。これだけではせいぜい、幸先の悪くない滑り出し、といった程度の評価が妥当だろう。事実、翌日は二回走って6着4着と振るわなかった為、恐らくは今節も中堅以下の成績で、最終日にはナイター開催にあって日が沈む前の一般戦をこなしてから早々に帰り支度をするのだろう、と思い描いたファンは多かったのではないだろうか。
ところが三日目の7月16日、第9Rの一回走りであった生田選手に、思わぬイン戦が舞い込んできたことから状況が一変する。本来このレースでは、二回走りの二走目となるベテラン女選手が1号艇へと乗り込む予定であり、2号艇に配されていた生田選手は当然に2コース進入で臨むところであった。しかし、この熟女選手が一走目で事故に遭って負傷してしまい、第9Rは欠場となったのである。よってこのレースは五艇での戦いとなり、コースが詰められた結果、生田選手はボートレーサー人生初の、1コース進入を迎えることとなったのだった。

初のイン戦に戸惑ったか、このレースでは既に節間3勝を挙げて優出まっしぐらであった2コース進入の3号艇A級選手にあっさりと捲られ、イン逃げの望みは儚くも消え去った。しかし、道中で競り合いを譲らずになんとか枠番通りの着順に踏みとどまったのは、流石に意地が張っている生田選手らしい見事な立ち回りであった。





いよいよ、ちゃんと来た
そして四日目の第1Rで、ようやっと生田選手は念願の1号艇に配されることとなった。プロレーサーとして初めて純白のカポックを羽織った生田選手の心境は、如何ばかりであったろう。過去に多くのレーサーが圧倒されたであろう初のイン戦へ臨む際の緊張感は、しかし、生田選手にはそれほど感じられなかったのではないだろうか。何しろ昨日の今日である。1コースは既に経験済みで、緊張というよりはせいぜい、今日は昨日みたいに捲られないようにしなくっちゃ、と強く気負いこむくらいの気持ちがあった程度ではないか。

一度あることは二度ある、まさかのまたもや
さて、いよいよ発走である。昨日の突発的な初体験によって慣れた体をしなやかに躍らせる前・最年少レーサーは、果たしてどんなパフォーマンスで逃げ切ってくれるのか。ファンの期待は大きくなるばかりであったが、しかし、生田選手は昨日互角に踏めていた筈のスタートで大きく遅れを取り、またもや2号艇に直捲りを喰らってしまうのだった。


ボートレースの常識を踏まえて鑑みれば、捲られて引き波に嵌っていく1号艇の末路は暗い。生田選手の応援舟券を握り締めるファンたちは、せいぜい3着、もしくは昨日のように鬼のデッドヒートを披露してなんとか2着に残せるか、といったところにレースの焦点を集めるか、若しくは後方で波と遊んでいる彼女の姿を微笑ましく見守るほかない。
A艇とB艇に大きな差
ところが、一見すると昨日の再現たる状況下にあって、当時とは大きく異なる因子が存在していたのだった。上掲の出走表を比較すると容易に浮き彫りとなることだが、直捲りしてきた選手の質には雲泥の差があったのである。昨日、2コース進入の3号艇を操舵していたのは、当地勝率8点台、通算勝利数も2500を超えている、押しも押されもしないA級レーサーであったのに対し、いま1号艇の生田選手を飲み込まんとしている2号艇の選手は、当地勝率こそ6点台あり、かつてはG1での優出経験さえあったものの、この10年間ずっとB級にランクされ続けている熟女なのだ。
つまり完全に1号艇を封じ込めたかに見えた2号艇は、捲る姿勢を見せた4号艇を気にしてか、それとも単にいきみ過ぎたのか、そのまま外へと張り込んで流れて行ってしまったのだった。



こうなると引き波も遠のいていくから、本来は最もターンマークに近かった筈の1号艇生田選手が大いに盛り返してくることとなる。小回り旋回で3、5、6号艇より先取って向こう正面へ入ると、既に大外を進んでいた2号艇とはほぼ並走のかたちとなった。

外から内へと斜めに進まねばならない2号艇と、ただ中道を進めば良い1号艇とは走破距離の差が大きくあるため、2マークへ向かう頃には完全に逆転、生田選手が抜きん出ていたのだった。

このまま残り2周を快走し、終わってみれば初の1号艇出走を無事に勝利で収めることが出来た生田選手。あれほどまでにスタートが遅れ、しっかりと捲られていたのにも関わらず、決まり手が「逃げ」であることに違和感を禁じ得ないビギナーファンは多かろう。

2号艇は結局4着まで後退しているあたり、今節の不調が如実に表れているが、本走の生田選手がメンバー最低のスタートを切りながら勝利できたのは、2号艇B級選手の失態に助けられたものと一口に断じてしまうのは、やや浅はかだと述べざるをえまい。
2号艇のおかげ?いやいやそれよりも…
実のところ陰の立役者は、生田選手と同じ東京支部のA級選手であった。彼女が青い4号艇で暗躍し、1周目1マークへ臨む2号艇に対して背後から捲るとも差すとも判断され得ぬ、まるで追尾ミサイルのような動きを行ってくれたが為に、2号艇はまんまと翻弄され、生田選手の再起が叶ったともいえるのだ。支部の絆が生田選手に通算4勝目をもたらしたのである。
支部に助けられ、そして、また支部に助けられよう
捲られてからの蘇り、というやや変わったかたちでG3の初勝利を挙げた生田選手。最年少レーサーの座は野田彩加選手に譲ったが、最年少優勝選手への道のりはまだ閉ざされてはいない。今節は待機行動違反もあって優出圏外であったが、次節、7月27日から支部地元の多摩川で開催される一般戦「夕刊フジ杯」には大いに期待したい。